3人目の子どもを授かったとき、私は特に深く考えることもなく、「今回も何とかなるだろう」と楽観的に構えていました。
出産は過去に2度、妻と共に乗り越えてきた経験があり、「3人目を欲しくなかったわけではないし、問題ないだろう。むしろ、生まれてからの方が大変だよな~」と、どこか余裕すら感じていたのです。
妻も、「3人目の妊娠を考えていなかったわけではないけれど、こんなにも早く授かるとは想定外だった」と全く不安はなかったそうです。
ところが、今回の妊娠はこれまでとは全く違いました。妻のつわりは想像を超えるほどひどくなり、一日中臥せっていることが増えていったのです。妻は、「起き上がるだけでもつらく、吐き気がずっと続いて本当に苦しかった」と当時を語ります。
そんな状況の中で、家事も育児もほぼ一人でこなさなければならない日々が続きました。私の体力は次第に限界に近づき、同時にメンタル的にも追い詰められていくことになったのでした。
育児を「自分の責任」として乗り越えた日々
つわりが始まった頃
ほどなくして、つわりの時期がやってきました。妻は典型的な吐きつわりで、胃がムカムカし、常に吐き気に襲われ、食べ物も飲み物もほとんど口にできなくなっていきました。
吐き気を催さない食べ物も最初は少しだけ見つかりましたが、症状がひどくなるにつれて、それすらも受け付けなくなっていきます。
最初の頃は、妻と一緒に「あれだったら食べられるかな?」とか「妊娠中だから栄養も考えないと」と、過去の経験を思い出しながらメニューを考えて買い物をしました。少しでもつわりが和らぐようにと、ネットで情報を調べたり、家事はすべて私が引き受けたりしました。
二人の子どもたちにも、「ママは今、病気だから、無理を言わないでね」と話し、なるべく妻に負担をかけないように努めました。
つわりが酷くなってから
最初の頃は、妻の体調を心配しながらも愛情を持って接し、家事も育児もすべて自分でこなしていました。
「そのうちつわりも良くなるだろう」
とネットで調べた情報を頼りに、毎週毎週「来週には少しマシになるかもしれない」と目標を立てて頑張っていました。
しかし、時間が経っても状況は全く良くなりません。
3人目妊娠を喜び、共に頑張ろうと励ましあい、体調を崩した妻を労わっていた愛情はもはやどこかに吹き飛び、家事を全部引き受けた事を後悔し、次第に
「これがいつまで続くのだろうか」
と不安や疲労感が募っていくのでした。
ワンオペ育児で感じた重圧
最初の頃はなんとか頑張れていたものの、つわりが始まってから4週、5週と時間が経つにつれ、ストレスがじわじわとたまってきました。
何せ、ほぼワンオペ育児です。
朝は子どもたちを保育園へ送り出す準備をします。
4歳と2歳。まだまだ時間の概念はありません。起きる時間になっても起きず、朝ごはんの時間になっても朝ごはんを食べず遊んでばかり。4歳の長男はテレビに夢中で、2歳の長女は抱っこから降りてくれません。
いつまでも遊んでいると私が仕事に遅刻してしまうので、なんとかなだめて励まして誉めちぎって子供たちの準備をして保育園に送っていくのです。
その後はすぐさま仕事へ。お昼休憩の時間も食材の買い出しやら朝食の後片付けです。よく昼ご飯を食べる時間が無くお昼を抜いたり、どうでもよいWEB会議中にカップラーメンやサンドイッチを食べながら仕事をしていました。
仕事が終われば保育園に迎えに行き、夕飯を準備。準備中も子供たちは大人しくなんかしてくれません。ソファで臥せっている妻に抱っこをねだったり、料理している私のズボンをひっぱって遊んだり、股の間から顔を出したりと、とにかく絡んできます。
まだまだ構ってあげなければいけない年齢なのですが、遊んでいるとご飯が出来上がってこないので、心の中では「ごめんね」と思いながら、危ないからこっちには来ないでね、ママは病気だから遊べないんだよと、我ながら苦しい説明で乗り切ります。
やっとの思いで夕食が完成です。
やっとの思いで出来た夕食ですが、妻は笑顔一つ見せず死にそうなミイラのような顔で夕食を食べます。子供たちはなかなか食べようとせず遊んでばかり。やっと食べたと思ったらご飯で遊び出したりお茶をひっくり返したり。作ったおかずに手をつけず食べ慣れたミートボールやら他のおかずが欲しいと泣き出したり。
バタバタと騒がしい夕食を済ませたら子どもたちをお風呂に入れ、歯磨きをして寝かしつけます。もちろんお風呂もすんなりと入ってくれません。テレビを消したり、お風呂で遊ぼうとおもちゃと持たせたりして、何とか二人同時にお風呂にいれます。
歯磨きも嫌がって逃げ回ります。毎日毎日嫌がって逃げるのが、まったく学習しないんだなと、面白くもあり、面倒でもあり、やっぱり大変なのです。
寝かしつけも、寝る前に絵本を読めとか子守歌を歌えとか、背中をとんとんしろとか、いろんな要求が飛び交い、すべて聞いてようやく眠りにつきます。
子供たちが寝た後も部屋を片付けたり、夕飯の食器を洗ったりと、やることは山積み。自分の時間はまったくなく、毎日が慌ただしく過ぎていきました。
妻と少しでも会話を楽しむことができれば気晴らしになったかもしれませんが、妻はソファに臥せってつらそうにしているばかり。そんな日々に、私は次第に疲れと孤独感を感じ始めました。
ぬぐえぬ疑念
妻が横たわっている姿を見ているうちに、不満が心の奥底から湧いてきました。
「もしかして家事をサボろうとして体調悪いフリをしてるんじゃ?」
「体調悪いと言っても、寝込むほどじゃないのでは?」
私は自分なりに頑張っているつもりなのに、誰にも褒めてもらえず、気遣われることもありません。そして、頼りにしていた妻はずっとぐったりと横になっているだけ。
次第に、私は無口になり、何かのきっかけで爆発してしまいそうな自分を感じていました。
「本当に体調悪いのか?」
「体調悪くても家事や育児やらないとアカンのでは?」
ぐっと我慢
心が狭い自分を自覚しつつも、ぐっと我慢して気持ちを整理する方法を模索しました。
- 育児を「妻がやるべきこと」ではなく、「自分の子どもだから自分が育てるんだ」という気持ちを強く持つようにしました。
- 「つわりも人それぞれ、体力も人それぞれ。体調が悪いのは本人にしかわからないこと。だから妻を信じて、ゆっくり休ませよう」と、思考を切り替えるようにしました。
- 自分が体調を崩したとき、妻が子どもたちを見てくれたことも思い出し、そういった感謝の気持ちを繰り返し念じること
この気持ちの整理が、育児や家事の負担を少しでも前向きに受け止められる大きな助けとなりました。
そして、後日、妻から「全部サポートしてくれて本当にありがたかった」と言われたとき、あのとき頑張って良かったと思うと同時に頑張っている時に言って欲しかったなあと思いました。夫婦というのは一筋縄ではいかないですね。
検診で分かった意外な原因
ぐっと我慢しながらも、
「今日こそは文句言ってやろうか」とか悶々としながら家事育児仕事に追われていたある日、妻が妊婦検診に行ってきました。
妊婦検診から帰って来て診察結果を聞くと、血液検査の結果、甲状腺の数値に異常があると言われたとのこと。
医師からは「つわりが病的にひどい可能性がある」と説明を受けたそうです。
私は医師からつわりがひどいと診断が出たと聞いたとき、
「妻に文句言わなくてよかったーーー」というほっとした気持ちがまず湧いてきて、
いや安心している場合ではなかったとすぐさま思いなおし、
血液検査の結果を受けて夫婦でどう対処したらよいかと話し合ったのでした。
- 定期的に血液検査の必要が出てきたので内科を受診する
- なるべく妻を安静にする
ということになりました。
後になって妻からは「2人目の妊娠のときも似たようなことがあったから、そこまで不安ではなかった。よくあるマイナートラブル」と話していました。もっと早く最初に言って欲しかったなと思いました。やっぱり、なかなか一筋縄ではいかないものです。
つわりが終わったときの喜びと家族の成長
つわりが終わった
一般的に言われているつわり期間の16週目くらいには徐々に体調が回復し、17週目にはすっかり良くなっていました。その頃には私自身がクタクタに疲れていましたが、妻の体調が良くなり、おなかの赤ちゃんが順調だと知ったときは心から安心しました。
何より、つわり中は子どもたちを十分に遊びに連れて行けなかったので、ようやく一緒に出かけられると思うと嬉しかったです。
私たちが得たもの
妻は「ご飯を美味しく食べられるようになったのが本当に嬉しかった」と言い、子どもたちが「ママ、大丈夫?」と体調を気遣ってくれたことが特に印象に残っているそうです。
一方の私は、毎日クタクタで、そのような些細な子どもたちの言動に気づく余裕もありませんでした。妻は自分が苦しみながらも、ちゃんと子どもたちの成長を見守っていたのですね。
子どもたちの優しさや成長を実感できる瞬間は、つらい期間を乗り越えたからこそ得られる特別なものでした。この経験を通して、家族の絆は一層深まったような気がします。